第4日(7/20) パムッカレ〜コンヤ〜カイマクル(カッパドキア地方)
左は早朝の石灰棚を下から見たところ。池の水面に映る姿がすごくきれいでした。 右は杏の実。トルコにはたくさん果物が植えられているけど、とくに杏はいたるところで見かけました。木を揺すって熟した実を落として食べたら、甘酸っぱくて美味しかったよ。 |
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ホテルの朝食(パンが美味しい) | ピデ(トルコ風ピッツア) | パンが焼けたよ! |
メヴラーナ博物館 メヴラーナ博物館があるコンヤは、11〜13世紀・セルジュク朝の首都が置かれました。メヴラーナ1207年にアフガニスタンで生まれ、1220年にコンヤに移り、宗教科学の学者としての地位を得た後、自分の知識や思想を多くの人達に伝えつづけました。 そのメヴラーナ教団の総本山がありましたが、アタチュルクの宗教分離政策により教団は解散し、「メヴラーナ博物館」となりました。多くの絨毯やコーランなどが展示されています。 |
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水場とモスク(博物館)入口 | 厨房と、後ろはセリミエジャミー | |
ラクダ隊商宿(キャラバン・サライ) 隊を組んでシルクロードを旅していた商人達(キャラバン)にとって、隊商宿が宮殿(サライ)のように立派な建物との印象を受けたことから、キャラバンサライと呼ばれるようになったそうです。トルコには100の隊商宿が残っているそうですが、そのほとんどは風化しているとのことです。 |
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宮殿のように立派な建物 | 美しいアーチ(ここにラクダをつなぐ) | ハマム(トルコ式風呂) |
シルクロード かつてラクダに乗って旅をしていた商人達が通った街道が続いています。放牧や穀物畑が続きます。およそ30kmごとに隊商宿跡があったり、集落があったりして、単調な景色のなかにもいろいろ変化があります。 |
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広大な麦畑が続いています | ときおり集落が現れます | 風化してしまった隊商宿 |
カイマクル地下都市 6〜9世紀にこの地に住むキリスト教徒たちが、しばしば侵入してくるアラブ系民族の脅威から逃れるために造ったものとされています。カッパドキアには300以上の地下都市があり、代表的な地下都市のカイマクルは深さ65m、地下8階におよぶ巨大ものです。一年の気温差の激しいカッパドキア地方は、冬は−20℃、夏は40℃にも上昇しますが、地下都市は年間を通じて気温が7〜15℃に保たれているそうです。 |
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地下都市の入口 | 地下4階まで公開されています | |
内部はまるで蟻の巣のように、小部屋に分かれて迷路になっています | ||
ずらっと並ぶ土産物屋、陽気な人々や人懐っこい子ども達がいっぱい | ||
快適だったホテル「ベラ カイマクル」 | 部屋から見える町並み | とても美味しかった夕食 |
たび日記 ☆7月20日 パムッカレからコンヤを経てカッパドキア地方へ 前日に石灰棚に行ったので、朝はちょっぴり遅め。といっても、モーニングコールは5:45です。この旅行で最長の700kmを移動するのですから。もちろん高速ではなく一般道なので、眠気との戦いかも(笑) ホテルを出発して石灰棚の麓に差しかかると、朝日を浴びて真っ白な石灰棚が見えました。ガイドさんが気を利かせて、少しだけ休憩をくれました。池に逆さに映る姿も絶景でした^^ ドライバーは前日のネズミ取りに懲りないのか快調に飛ばします。カーブでもバンバン追い越すのでちょっと怖かったです。ベンツは車体が軽いから、山道でも強いんだ! とか言ったりして。はー ☆トルコ料理はやっぱり美味しい! 昼食はドライブインで「ピデ(トルコ風ピッツア)」です。チーズが苦手な私は不安でしたが、ほとんどチーズの味がしなくて、オムレツといった感じです。店のおじさんが焼き上がったパンを運んでいます。カメラを向けたら気安く応えてくれました。トルコのパンは、どこで食べてもやっぱり美味しいです♪ ☆メヴラーナ博物館 昼食後、ようやくコンヤの町に到着しました。コンヤはセルジュク朝の首都が置かれた町。ここにあったメヴラーナ教団の総本山が、宗教分離政策により「メヴラーナ博物館」となりました。博物館とはいえ、宗教色が濃いなあって感じました。 ☆シルクロードをドライブ 「ラクダ隊商宿(キャラバンサライ)」を訪ねた後、カッパドキアに向かってシルクロードをドライブです。かつてはラクダ隊列が通った道を、快調にバスやトラックが走ります。果てしなく続く農地や原野、所々に残る風化した隊商宿などをぼんやり眺めていると、ガイドさんが喜多郎の「シルクロード」のテーマ曲を流してくれました。往時の過酷な旅を想像しながら聴く名曲。いいものですね♪ ☆迷路のようなカイマクル地下都市 ようやく長い移動が終わり、カッパドキア地方に到着です。ここでも予定を変更して、「カイマクル地下都市」の観光を先取りしてしまいます。 地下都市は、6〜9世紀にこの地に住むキリスト教徒たちが、しばしば侵入してくるアラブ系民族の脅威から逃れるために造ったものとされています。まるで蟻の巣を歩くようで興味深いです。また、地下都市はひんやりして、湿度もあったので過ごしやすそうでした。 地下都市を出ると、土産物やさんがずらっと並んでいます。この光景は日本とまったく一緒(笑) 少し時間をくれたので、店を冷やかして歩きます。「○個千円」の言葉が飛び交います。それ以上の日本語はわからないみたいだったけど、値段交渉などは楽しかったです。カメラを持っていると、子ども達が集まってきます。子どもって写真が好きですね。めっちゃかわいい! |
(5日目へ続く) |