第5日午前(2002/8/6)  西安(兵馬俑坑、華清池)



西安

桂林からほぼ真北へ飛行機で2時間。中国の内陸部の盆地で、シルクロードの起点の都市だ。シルクロードを東へ進めば朝鮮半島を越えて日本にたどり着く。奈良が東の終点。遣唐使として阿倍仲麻呂や、空海が名高い。
西安の歴史は紀元前11世紀、周の武王が殷を滅ぼし西周(せいしゅう)王朝を建てたことに始まる。その後秦の始皇帝が初めて全中国を統一し、唐に至る13代の王朝が西安に都を置いた。実に2000年に及ぶ歴史都市だ。前漢のころから「長久平安」を意味する”長安”の名前が使われた。
華やかな王朝も貴族の贅沢三昧、楊貴妃に心を奪われた玄宗の失政などにより衰退し、907年唐が滅亡。長安は首都の座を奪われた。その後明代の1369年に西安府と命名された。
西安の市街中心部は、周囲約13キロの城壁に囲まれている。夜にはライトアップされ、たいへん美しい。
今回は駆け足で回ったため、ゆっくり散策する時間もなかった。できれば、この歴史とロマンの町をもう一度ゆっくり訪ね、無数にある歴史文化財に触れてみたい。
西安・城壁のライトアップ
マウスを重ねてみてね♪
兵馬俑坑

市街地から北東へ約30キロにあり、井戸を掘ろうとした農民が偶然発見した。これをきっかけに発掘調査を行い、東西230m、南北62mの坑から実物大の6000体を越す兵士の陶俑、馬、戦車、兵器などが出土した。
兵馬俑とは殉死者の代わりに埋葬された人形のこと。始皇帝は生前から陵墓を造らせ、兵馬俑坑も秘密のうちに造営されたというが、今なお建設年代など解明されていない。
兵馬俑坑は、発掘現場の跡をそのままドーム状の屋根で覆って公開されている。
上下の写真は第1号坑。巨大な坑に兵士と馬の俑が整然と並んでいる。元は彩色が施してあったが、光などにより彩色が落ちてしまったという。坑の半分は未だ発掘されていないが、彩色が落ちない技術が確立されたら発掘するという。
兵士俑は身長が180センチ前後で鎧や兜で身を固め、表情は一体ごとに異なっている。これらが整然と並んでいるさまには驚かされる。
坑内は撮影禁止と聞いていたが黙認状態。ガイドは仕事上撮影してもよいとは言えないんだって。そりゃそうだよね。坑内ではしきりにフラッシュがたかれていた。こんなに広いところでは光が届かず、逆効果になるのでフラッシュ撮影は控えたい。
地中深く埋もれていた様子がわかる 未発掘の部分 発掘で出た土を運んでいたコンベア
第3号坑
司令部として造られたという
第2号坑から出土した跪射武士俑
弓を射る姿だ
1978年に始皇帝陵の脇で発見された
彩色された銅製の馬車
華清池(かせいち)

市街地から兵馬俑坑を見に行く途中にある温泉地。3000年の歴史を持っている。
玄宗皇帝は毎年冬には楊貴妃とここで過ごしたという。唐の詩人白楽天の「長恨歌」に歌われたふたりのロマンスの舞台だ。後に唐の滅亡へと歩んでいく。。。
現在は広い庭園に池があり、楊貴妃の裸像が建っていた。当時は裸像を建てるのは社会問題だったという。
温泉は今も4箇所から湧いていて、湧出量も豊富だそうだ。
後ろに見える山は驪山。ロープウエイが通じている。
池の辺に立つ楊貴妃の裸像 西安は石榴の産地として有名
楊貴妃専用のお風呂 楊貴妃が髪を乾かしたという櫓 華清池の塀は丸みがあっていい感じ♪
西安での昼食は郷土料理
味はまずまず
宿泊は長安城堡大酒店
(ANAグランドキャッスルホテル)
寝るだけなのに勿体ない。。。
西安では晴れているが、あまりきれいな青空ではなかった。内陸の盆地ということで降水量は少ないが、うす曇の日が多いという。
外を歩くには灼熱の太陽より断然いいが。
それにしても兵馬俑坑の規模や迫力には圧倒された。期待どおり当時の権力のものすごさを感じる。
市街地へ戻しがけに車窓から始皇帝陵を見る。単なる大きな丘だが、ここにも権力を見ることができた。
午後からは、陝西歴史博物館、大雁塔へ向かう。

西安でのホテルは、城壁(南門)からすぐで、立地は申し分ない。ANAホテルとあって日本人の利用が多いんだろうな。ここのホテルだけ水道水が殺菌してあって飲むことができる。ホッとすることはできるがホテルでゆっくりする時間がなく勿体なく思った。こんなに立派なホテルじゃなくていいからツアー代金が安ければ嬉しいんだけど。


(5日目午後 西安・大雁塔へ)