第2日(2002/8/3) 蘇州観光
蘇州 上海から西へ86キロ。列車で1時間くらいのところ、長江のデルタ地帯に開けた運河と庭園の町で、東洋のベニスといわれている。名所の「拙政園(せっせいえん)」は、中国の四大名園に数えられ、世界遺産に登録されている「蘇州古典園林」の主格となっている。またシルク製品や両面刺繍などの技術も発達している。 今回は、上海から列車を利用して蘇州入りし、虎丘、寒山寺、拙政園、刺繍研究所を訪ねた。 なお、当日は蘇州駅で現地ガイドさんにお会いすることができた。 右の写真は、観光客でいっぱいの蘇州駅。 |
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上海午前9時発の特快列車(特急)で蘇州へ。中国の列車には”軟座”と”硬座”があって運賃だけでなく待合室まで異なる。文字どおり硬座は硬い座席、軟座はいわゆるグリーン車だ。私達を含め観光客はほとんどが軟座の指定券を購入する。蘇州〜上海が軟座で片道22元(330円)だった。 列車のドアの前では、たすきを掛けた駅員さんが席を案内してくれる。列車は2階建ての豪華な客車で、行きは1階、帰りは2階席だった。 右上の切符「蘇州→上海、8月3日、15:30発、3号車 上(2階)050号、その下には「新空調軟座特快」と書いてある。」 列車の中ではお茶やコーヒーのサービスもあった。私達は頼まなかったが有料かな? 帰りの列車ではイタリア人のツアーの人と一緒になった。めっちゃうるさかった。イタリア人ってどこへ行ってもやかましい。。。 因みに、中国の鉄道運賃や博物館などの入場料金は身長で決まるみたい。身長120センチまでが「免費(無料?)、140センチまでが半額、それ以上は大人料金のようだ。身長を測る器具があった。年齢は関係ないみたいで合理的かも。 |
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虎丘 蘇州のシンボルになっているのが、虎丘にある「虎丘塔、別名雲岩寺塔」だ。煉瓦造りで高さは47.5メートル。宋王朝の961年に建てられた。 春秋戦国時代、ここに呉王の夫差が父親を剣池に葬ったが、その3日後、白い虎が現われ、墓の上にうずくまっていたと言われるのがその名の由来とか。虎丘塔は15度くらい北へ傾いていており、中国の「ピサの斜塔」ともいわれている。地盤が沈下して徐々に北の方へ傾いて倒れそうになった。 で、現在は柵をめぐらせ、立ち入りはできない。 |
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虎丘塔(別名雲岩寺)は、中国版ピサの斜塔と呼ばれている。 写真では傾いてるのがわかりにくいかな? |
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虎丘の出入り口近くにある 寝そべっている仏さん |
蘇州は水の都 運河には美しい橋が架かっている |
昼食は上海料理 小海老・もやし炒めが美味しかった |
寒山寺(かんざんじ) 唐の詩人張継(ちょうけい)が「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」を詠って以来、寒山寺は全国的に有名になった。509年−519年の間に建てられ、当時の名前は、妙利普明塔院という。唐の時代に寒山と拾得がここで修行していたことから、寒山寺と名称を変えた。 黄色い壁はお寺を意味している。 右の鐘楼の鐘は日本から寄贈されたもの。大晦日に寒山寺で除夜の鐘を聴きながら新年を迎えるのは、人気の高いイベントになっているんだって。 |
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拙政園(せっせいえん) 1509年(明王朝期)に官僚の王献臣によって造営された。拙政園は最初は唐の詩人陸亀蒙の自宅だった。その後、王献臣は官僚を追放され、故郷の蘇州に戻った。愚かなものが政をつかさどるという意味で「拙政」と名をつけたという説がある。 面積約5ヘクタールの拙政園は蘇州でもっとも広い庭園で、世界遺産としての「蘇州古典園林」の主格だ。 東園、中園、西園の三つの部分に大きく分けられている。園内で中心的な存在は水で、全体の3/5を大小の蓮池が占めている。蓮池の周りに東屋、橋、回廊、緑が水面に映って美しい景観を構成している。 |
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庭園の蓮池 蓮の咲く時期は素晴らしい光景だろう |
水際に築かれた主要な建物は 自然で独特な趣きがある |
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蓮池越しに北寺塔が見える ニクイ配置だ! |
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両面刺繍 緻密な手作業だ (刺繍研究所にて) |
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外灘(わいたん) 黄浦江を挟んで東側を「浦東(プードン)」と呼ばれ、金融関係の施設やテレビ等などが林立する(写真左) 黄浦江の西側は遊歩道になっていて、浦東と、外灘(ワイタン)のライトアップが美しい。外灘は租界が設けられていたころ、外国の商社や銀行が進出したところ。夜はライトアップされる(写真右) |
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外灘のライトアップはホント美しい | 夕食は上海料理 |
(3日目 周庄観光へ) |