花見小路の石畳
夜は華やかで舞妓さんもちらほら
八坂神社
祇園祭で有名だよね^^
円山公園
お昼には人があふれるんだろうな
大河内山荘(おおこうちさんそう)

丹下左膳役で有名な昭和初期の俳優、大河内伝次郎が30年の歳月をかけて造った別荘。小倉山の山裾の起伏を利用した広大な庭園。春の桜、夏の緑、秋の紅葉と四季折々に美しい。展望台からは比叡山や京都の町の眺望が素晴らしい。
また、休憩所では抹茶をいただける。(抹茶代金は入園料に含まれている)
落柿舎(らくししゃ)

松尾芭蕉の門人で蕉門十哲の一人、向井去来が晩年を過ごしたところ。1691(元禄4)年には芭蕉がこの草庵に滞在し、「嵯峨日記」を記したといわれている。今の庵は京都の俳人、井上重厚が再建したもので、今でも土間の壁には蓑と笠が掛けられている。
落柿舎の名は、柿の木が40本あり、承認が立ち木ごと買い取ろうとしたところ、夜中に嵐となり多くの実が落ち、慌てて向井去来が代金を渡したことによるという。
化野(あだしの)念仏寺

化野と呼ばれるこの一帯は、かつて亡骸を捨てる風葬の地で、弘法大師がこの地に葬られた死者の菩提を弔うために寺を建てた。のちに法然上人が念仏道場に改め、念仏寺と称した。境内には、釈迦の説法に耳を傾ける人々の姿になぞらえて、十三重石塔を中心に、無縁仏となった8000体もの石仏や石塔が並んでいる。8月の地蔵盆には千燈供養が行われ、数千本の蝋燭が石仏を照らす。
宝筐院(ほうきょういん)

平安時代に白河天皇の勅願寺として創建され、「善入寺」と名づけられた。その後平安、鎌倉時代にかけては、数代にわたり皇族が入寺して住持となり、南北朝時代の貞和年間(1345〜50)に夢窓国師の高弟の黙庵周禅師が入寺し、衰退していた寺を復興させ、これ以後は臨済宗の寺となった。1367(貞治5)年、義詮が没すると、善入寺はその菩提寺となり、八代将軍義政の代に義詮の院号の宝筐院にちなみ、寺名は宝筐院と改められた。紅葉の美しい寺で、とくに晩秋の散紅葉は素晴らしい。
真っ赤なドウダンツツジが美しい 庭園のもみじはまだ色づき始めだった
宝厳院(ほうごんいん)

臨済宗天龍寺派大本山天龍寺の塔頭寺院。1461(寛正2)年、室町幕府の管領であった細川頼之公により、天龍寺の開山である無窓国師の法孫にあたる聖仲永光禅師を開山に迎えて創建した。
庭園は無窓国師の法孫である策彦禅師の作とされ、嵐山の全容を借景にしたこの庭園には「獅子岩」など大きな石が点在している。「獅子吼(ししく)の庭」といわれる名園である。獅子吼とは仏が説法をすることを意味し、庭園を散策し、鳥の声や風の音を聞くことによって、人生の真理や正道を肌で感じ、心が癒される。


この日記は「京都オフ会」を開催したときに訪ねたところです。
大阪のくいだおれと、京都のもみじオフ会を開催しました。すごく盛り上がりました^^

オフ会日記はこちら