第二砲台跡 明治31年に竣工した砲台。海岸に面していて迫力があるが、米軍による爆破と長年の波による風化等による危険のため、立ち入りは禁止されている。遠くから見れば、どことなく異国情緒が漂うが、近づけば虚しさだけが漂っていた。 このような戦争を語る遺跡は、きちっと修復したうえで大切に保存されるべきだと思う。 |
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友ヶ島灯台 海面から60mの高さに立つ白亜の灯台は、瀬戸内海原産の花崗岩を使った石造りだ。高さ12m、直径4.5mの円形で、1872(明治5)年、英国人ヘンリー・リチャード・ブラントンが設計した。日本の7番目の洋式灯台として約2年の歳月をかけて完成した。 現在の灯台の光は、190万カンデラで、38km先までとどき、室戸岬灯台とともに全国2位の明るさを誇っている。とても美しい灯台だ。 |
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孝助松の海岸 孝助松は、船が難破したが親孝行の男が一人だけこの松の木にひっかかって助かったという言い伝えのある松の木で、海岸に生えている。ここは海からの風が強く、付近に生えている樹木は一方向に曲がっている。また、ここの広場ではキャンプができる。 |
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コウノ巣山展望台 標高120mで見晴らしが良く、視界が良ければ淡路島から四国の山々まで望むことができる。この日は風が弱く、かすんでいる様子がまるで水墨画のようだった。海と空と島が溶けあった風景も美しかった。 |
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山頂にある一等三角点 | 展望台からの眺めは美しい | 関空のレーダー施設 |
第三砲台跡 友ヶ島には6ヶ所の砲台跡があるが、その中でも第三砲台は明治時代に大阪湾を守るために設置された、全国的にみても非常に貴重な戦争遺産である。第二次世界大戦中は約600名が駐屯していたという。終戦後、砲台は取り壊され、軍事用に整備された道路は散策道として活用され、今ではたくさんの人がマリンレジャーや自然観察、ハイキングに訪れている。砲台跡はレンガ造りで、鉄筋コンクリートの丈夫な土台や弾薬庫は残されたまま自由に見学できる。 |
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砲座には水が溜まっていた | 地下弾薬庫(中は真っ暗) | |
第三砲台跡 明治時代に大阪湾を守るために設置された要塞 | ||
砲台の内部などいろんな角度で撮影してみた | ||
第三砲台入り口の営門の跡 | 発電所跡 | 看守営舎跡(左) |