紅葉の高野山





高野山

高野山は、816(弘仁7)年に弘法大師(空海上人)が嵯峨天皇より高野山開創の勅許を得て、真言密教の根本道場として開いた。総本山は金剛峯寺で、諸堂や大門、奥の院など高野山全体が金剛峯寺の境内となっている。
また、標高1000m前後の山々に囲まれた平坦地に諸堂が立ち並ぶ姿は、蓮の花が開いたような配置となっていて、「八葉の峰」とも呼ばれている。
南海電車 ケーブル
高野山へは南海電車が便利 高野山ケーブルカー
高野山駅 高野山の案内板 交番
ケーブル山頂の高野山駅 山内の地図の絵がかわいい のんびりした高野山の交番
女人堂

明治5年まで高野山は女人禁制だったため、高野山の七つの参詣道に女人堂が設けられ、多くの女人参拝者が遥かな大師廟を拝して下山したと言われている。杉木立の中にひっそり佇む女人堂は、常に昼夜読経の声が絶えなかったと伝えられている。現在は、高野七口の一つである不動口に唯一残っているが、女人禁制が解かれたあとは、参拝者の休憩所に利用された。
女人堂 ハイキング道
女人堂 女人堂裏のハイキング道
刈萱堂(かるかやどう)

出家した父刈萱道心を追って高野山に来た石童丸の哀しい物語で有名で、歌舞伎や浄瑠璃でもおなじみになっている。刈萱堂は、刈萱道心と石童丸親子が修行した場所と伝えられている。この物語は堂内の壁絵になっている。
刈萱堂 刈萱堂付近の紅葉
奥の院

弘法大師が入定(835年)後、現在も信仰上、生き続けていると言われている場所。杉や檜の巨木が茂る中に、20万基を超える墓や供養塔が並んでいる。これは宗派の別なく、弘法大師の足下に眠れば極楽往生ができるという信仰によるもので、じっくり見ていけば歴史上の人物をほとんど見出すことができる。
この木立の中をを歩いていくと、線香の香りが漂い、荘厳な気分を味わうことができる。
奥の院参道 奥の院参道
奥の院(ここから先は撮影禁止) 英霊殿付近の紅葉が美しかった
奥の院参道 弘法大師腰掛け石 奥の院参道
順々に水を掛けていく 弘法大師腰掛け石 杉の巨木が茂る参道
金剛峯寺

全国に3600の末寺をもつ高野山真言宗の総本山。1869(明治2)年、豊臣秀吉ゆかりの寺院である青巖寺と興山寺を合併し、金剛峯寺と改称した。
大主殿は東西54m、南北63mもあり、我が国最大の石庭「蟠龍庭」や、各部屋のるふすま絵が素晴らしい。
金剛峰寺 金剛峰寺の庭園
重厚で巨大な大主殿 雌雄一対の龍を表現した蟠龍庭
金剛峰寺の石庭 金剛峰寺のもみじ 金剛峰寺の台所
石庭のもみじ 紅葉がとても美しい 豪壮な台所!
壇上伽藍

開山の時最初に建物が建造された土地で、金堂、根本大塔、御影堂などを配置している。
金堂は、弘仁年間に弘法大師が創建したもので、御願堂とか薬師堂とも呼ばれ、いつしか俗称の金堂が通り名となった。昭和元年の大火で焼失し、現在の建物は平成7年に建立されたもの。本尊は薬師如来像。
根本大塔は、高さ50mあまりもある朱塗りの大塔で、内陣に胎蔵界の大日如来を本尊として金剛界四仏が安置されている。現在の建物は昭和12年に再建されたもの。
金堂 根本大塔
金堂 根本大塔
高野山の紅葉 高野山の紅葉 高野山の紅葉
壇上伽藍周辺の紅葉はとても美しかった
大門 大門 高野山の紅葉
山岳仏教を表す堂々たる風格をたたえた大門 赤や黄色が混じって美しい
アクセス

南海高野線「高野山極楽橋」駅下車、ケーブル線に乗り換え「高野山」駅へ。さらに山内バスに乗り継ぐ。
高野山内では、1時間に2〜3本のバスが運行されている。(行楽シーズンは頻繁に運転)


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