奈良の冬景色2009




初詣
 (東大寺→手向山八幡→春日大社)


大仏殿は元日の0時から8時まで中門が開けられ、無料で参拝できます。また、大仏殿正面の観相窓(桟唐戸)も開けられ、中門の基壇上から窓の中に大仏さまのお顔を拝むことができます。あらためて大仏さまの大きさに圧倒されました。
観相窓が開けられるのは、元日と8月15日の年に2日だけだよ。
東大寺 南大門 大仏殿
ライトアップされた南大門 大仏殿の中門が開けられる
大仏殿
大仏殿 大仏殿
観相窓から大仏さまのお顔を拝めます やっぱりでかい! 外から見える大仏さま
手向山八幡宮です。
749年に、東大寺や大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請されました。創建以来、東大寺に属しその鎮守社とされてきましたが、明治の神仏分離の際に東大寺から独立しました。すぐ近くの春日大社はすごい人が参拝するけど、こちらはほとんど人影はありません。いいところなんだけどなあ。
手向山八幡宮 手向山八幡宮
春日大社です。
710年に藤原氏の氏社として創建され、平安後期には官社となりました。朱塗りの回廊が春日山麓の緑の木立に映え、軒に下がる釣燈篭や桧皮葺の社殿などが典雅な趣を醸し出しています。節分と盆に行われる万灯籠は幽玄でいいよ♪
三が日は参詣者でごった返すけど、元旦とはいえさすがに明け方はガラガラ。ゆっくり参拝できました。
春日大社 春日大社 春日大社
明け方は寒いけど参拝者がまばら ライトアップされた本殿 巫女さんは大忙し
若草山焼き

若草山の山焼きの起源は、一説には春日大社・興福寺と東大寺の領地争いの仲裁に奈良奉行が山を焼いたのが始まりと言われています。また、若草山にひそむ猪を追い払うためとか、害虫を焼き払うためとか、芝の芽生えを良くするためなど様々な説があるようです。
今年は、東大寺の近くの春日野園地にある三社池から見てみました。街灯が明るいけれど、人が少なくて、ゆったり眺められるのでおすすめです。池面に映る炎も見えてきれいだよ^^
山焼きは、1月第4土曜日18:00に点火されます。
若草山焼き 若草山焼き
夕暮れの三社池と若草山 池に炎が映ってきれい
若草山焼き
若草山焼き 若草山焼き
頂上に向かってどんどん燃え上がっていく若草山 花火の後点火です(写真は合成!)
鹿寄せ

1892年に鹿苑竣工奉告祭にラッパを使って実施したのがはじまりだそうです。その後、1980年に奈良市観光協会が鹿寄せをキャンペーンとして行って以来、冬の観光客誘致のために実施されています。のどかな飛火野に繰り広げられるほのぼのとした楽しい行事ですよ^^
奈良の鹿愛護会のお兄さんが、ベートーヴェン作曲の「田園」を奏でると♪
開催日は、奈良市観光協会のHPでご確認を。
鹿寄せ 鹿寄せ
ホルンを吹くと・・・ 鹿が一列になって走ってきます
鹿寄せ 若草山 鹿
餌をまくと奪い合い! 山焼きで真っ黒になった若草山 冬の日差しを浴びての〜んびり
菅原の里盆梅展
(喜光寺、菅原天満宮)


喜光寺
721(養老5)年に行基が創建した喜光寺は、古くは菅原寺と呼ばれていました。聖武天皇が参詣した際、本尊より不思議な光明が放たれ、それを喜んで寺名を喜光寺と改名されました。行基は、東大寺の造営にあたり喜光寺の本堂を参考にしたという伝承から、この寺は「試みの大仏殿」とも呼ばれています。
喜光寺 山門 喜光寺 本堂
喜光寺の山門 「試みの大仏殿」と呼ばれる本堂
喜光寺 仏像 喜光寺境内 喜光寺 石仏群
阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩 枝垂れ梅と弁天堂 境内にある石仏群
菅原天満宮

「菅原の里」は、菅原道真公誕生の地とされています。この地に「菅原天満宮」があり、盆梅展が開催されています。地元の人達によって、丹誠込めて育てられた古木に咲く花は春の香りを漂わせていました♪
道真公が京の都を立つとき、主人を慕って太宰府まで飛んでいったという「飛び梅伝説」のある梅は、道真公とゆかりの深い花です。だから天満宮へ行くとかならず梅が植えられてますね。
菅原天満宮  菅原天満宮
菅原天満宮の境内 天満宮といえば梅と牛
菅原天満宮 盆梅 菅原天満宮 盆梅 梅
見事な盆梅を屋外と屋内に展示されています 夜露が朝日に光ってきれい!
西大寺と大茶盛

西大寺は、称徳天皇の勅願により、765(天平神護元)年に創建されました。当時は広大な寺域に多数の堂塔が建ち並び、東大寺とともに栄えていましたが、多くの火災に遭い創建当時の建物はほとんど焼失しました。現在の建物は江戸時代中期に建てられたものです。
大茶盛は、西大寺の高僧・叡尊が、修正会の結願に八幡宮へ献茶され、おさがりとして参拝者にもお茶を振舞ったことに始まります。当時お茶は貴重な薬でもありました。また、僧侶は戒律により酒を飲まないので、酒盛りに代えて「茶盛」と称されます。
西大寺 本堂 四天堂
西大寺の本堂と塔跡(右) 創建期の由緒を伝える四天堂
西大寺 茶碗 西大寺 大茶盛 西大寺 大茶盛
ずらっと並べられたでっかいお茶碗 茶碗だけでなく、tyせんも釜も柄杓も、みんなでっかい!
西大寺 大茶盛 西大寺 大茶盛 西大寺 大茶盛
大茶盛の行われる光明殿 頭がすっぽり入ってしまう大きさのお茶碗でいただきます
賀名生(あのう)皇居跡

五條市から新宮へ続く”五新国道(R168)”を南下すると、梅の香り漂う南朝の里「賀名生(あのう)」に到着です。ここに南朝三帝の行宮(あんぐう)となったと伝えられている「賀名生皇居跡」があります。1336(延元元)年、足利尊氏に追われた後醍醐天皇が京都から吉野に皇居を移す途中に滞在。その後、後村上天皇、後亀山天皇もここに身を寄せました。今なお当時の面影をとどめる屋敷は、全国でも最古に属する民家で重要文化財に指定されています。
賀名生皇居跡 賀名生皇居跡
賀名生皇居跡
賀名生
賀名生皇居跡 賀名生
賀名生皇居跡 幻の「五新鉄道」を路線バスが走ります
賀名生梅林

丘陵を麓から中腹までおおいつくすように2万本の梅林が続いています。五分〜七分咲きの梅花が、さながら雲海のように続き、ほのかな香りが漂っていました。
700年前の南北朝時代に公家たちによって賀名生の梅の花が歌に詠まれているところからも、この頃には梅が咲き誇っていたようです。「口の千本」「一目万本」「見返り千本」「東雲(しののめ)千本」「奧の千本」などの看板が掛けられていました。
賀名生梅林 賀名生梅林
広大な斜面に2万本の梅が植えられています
賀名生梅林 賀名生梅林 賀名生梅林
とっても可愛い梅の花 前夜の雨に揺れたネコヤナギ マンサクも咲いています
福寿草の群生

西吉野の津越地区には「福寿草が大群生」があり、県の天然記念物に指定されています。旧暦の新年ごろに咲くめでたい花として名づけられた福寿草。花言葉は「幸福を招く」だそうです。黄色く可愛らしい花が山の斜面を覆いつくすと、いよいよ春です♪
福寿草は、東部シベリア、中国北部、朝鮮半島、北海道から九州まで幅広く分布しています。西日本には自生地が少なく、大きな群生地は貴重な存在です。雨の日は花を開かないので、見に行かれる人は天気には注意してね。
福寿草 福寿草 福寿草
東大寺二月堂 修二会
(お水取り)


1か月以上続く東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)の本行が3月1日から14日まで行われます。修二会は、752(天平勝宝4)年に東大寺開山良弁僧正の高弟、実忠和尚によってはじめられたと伝えられます。以来一度も途絶えることなく続けられ、今年で1258回を数えました。
一般に「お水取り」と呼ばれていますが、3月12日深夜に若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われ、これをお水取りといいます。お松明は、この行を勤める練行衆の道明かりとしてともされる大きな松明のことです。

お水取り お水取り
お松明を待つ二月堂 大きな松明が舞台にやってきました
お水取り お水取り お水取り
お水取り(お松明)は3月12日だけと思っている人が多いけど、1日から14日まで毎晩あります。週末や期間後半は混雑するので、早めの到着をおすすめします。12日は大混雑するので、立ち止まって見ることはできません。
お水取りが終わると、奈良に春がやってくるといわれています♪
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