桜花爛漫の吉野&宇陀



吉野

吉野は桜の名所だが、吉野の桜は観光用に植えられたものと違って、山岳信仰と深く結びついている。1300年ほど前、役行者が蔵王権現を桜の木に刻んで大峰山山上ヶ岳と吉野山に祀ったとされる。本尊を刻んだ桜こそ御神木としてふさわしいとされ、また蔵王権現を本尊とする金峯山寺への参詣もさかんになって、御神木の献木という形で植え続けられた。4月、3万本もの桜が下千本・中千本・上千本・奥千本へと咲いていく様は素晴らしい。
吉野の家並み 吉野の家並み
金峯山寺門前には旅館や土産物店がびっしり並ぶ
蔵王堂 蔵王堂遠望 楓の若葉
蔵王堂の大きな屋根はどこからでも見える 楓の若葉も美しい
金峯山寺・蔵王堂(きんぷせんじ)

吉野山から山上ヶ岳(大峰山)に至る金峯山は聖地として知られる。白鳳年間に役行者が蔵王権現を感得し、その姿を桜の木で刻み祀ったのが蔵王堂。以来、金峯山は修験道の根本道場として、広く尊崇されている。金峯山寺の本堂には、本尊である三体の蔵王権現が祀られていることから蔵王堂と呼ばれている。
蔵王堂 蔵王堂 蔵王堂から見た南朝妙法殿
四本桜と蔵王堂 金峯山寺の本堂(蔵王堂) 蔵王堂から南朝妙法殿を望む
吉水神社(よしみずじんじゃ)

元は吉水院と称し、白鳳年間に役行者が創建し、金峯山寺の僧坊であったが、明治のはじめ、後醍醐天皇・楠木正成・宗伸法印を祀る神社に改められた。吉野へ潜行した後醍醐天皇を住職・宗信法印が迎えた。また、源義経が静御前や供のものと逃げ延びてきたのも、太閤秀吉の花見の本陣となったのもここ。それ故、古文書や武具、秀吉の花見に使われた楽器などが多数残されている。
吉水神社 吉水神社からの眺望
書院造りの吉水神社 境内より中千本・上千本を望む
竹林院(ちくりんいん)

聖徳太子の創建と伝わる寺院で、昼食や宿泊もできる。護摩堂には南北朝時代の作という聖徳太子坐像が安置されている。大和三庭園の一つ「群芳園」は、豊臣秀吉が観桜のおりに千利休が作庭した吉野山をのぞむ池泉回遊式の借景庭園。枝垂れ桜がとても美しい。
竹林院 竹林院
竹林院護摩堂 竹林院庭園 竹林院からの眺望
聖徳太子坐像などが安置される護摩堂 枝垂れ桜が美しい群芳園 高台から望む吉野山
五郎兵衛茶屋(中千本)

中千本の中心部に五郎兵衛茶屋と呼ばれるところがある。その昔五郎兵衛という人が茶屋を開いていたので、その名がついたという。ここから見た四方の眺めは格別だ。
五郎兵衛茶屋からの眺望 五郎兵衛茶屋からの眺望 うすみどり桜
五郎兵衛茶屋から如意林寺を望む 五郎兵衛茶屋から上千本を望む 珍しい「うすみどり桜」
吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)

水の分配を司る天之水分大神を主神としている。平安時代には、「みくまり」が「御子守」となまって、子宝の神としても信仰されている。本殿、楼門、拝殿などからなる、桃山様式のたいへん美しい神社だ。
水分神社 水分神社 水分神社
楼門と桜 楼門と拝殿 3殿を1棟続きにした本殿
花矢倉展望台(上千本)

義経一行を敵の襲撃から逃すため、忠信一人で次から次へと下に向かって矢を射、見事義経らを守ったのでこの名がついたとされる。眼下に上千本、中千本、蔵王堂や吉野山の家並みが一望でき、また天気の良い日には金剛・葛城・二上山を遠望できる素晴らしいスポットだ。また、このあたりの桜を「滝桜」と呼び、中千本付近から見上げると、満開の桜が風に吹かれ、花びらが滝のように落ちる壮観なところから名付けられたという。
上千本 上千本
金峯山寺へと桜の峯がつながっている 満開のシロヤマザクラ
上千本 上千本 上千本
アクセス

吉野山
 近鉄線「吉野」駅下車、ロープウェイまたは徒歩(シーズン中は中千本まで臨時バスが運行される)
 中千本から、上千本へのバスもある


蔵王堂 拝観料 400円
吉水神社 拝観料 400円
竹林院 拝観料 300円


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