安楽寺

浄土宗の開祖法然上人の弟子にあたる住蓮上人・安楽上人に由来がある。
法然上人は、約800年前、建永の法難の際に打ち首の刑に処された両上人の菩提を弔い、またその非業の死を後の世に伝えるため、山号寺号を「住蓮山安楽寺」としたお寺を建立し、1681(延宝9)年に現在地に本堂が移された。
春のツツジ・サツキ、秋の紅葉がとくに美しい。
安楽寺は松虫姫、鈴虫姫にまつわる悲劇の舞台。法然上人の説法に魅了された後鳥羽上皇の女官である松虫姫と鈴虫姫が、御所を忍び出て法然上人の弟子の住蓮・安楽両上人に出家を申し出た。二僧は上皇の許可が必要として思い止らせようとしたが、両姫の思いに心を動かされ、住蓮は松虫姫を、安楽は鈴虫姫を剃髪した。両姫の出家を知った後鳥羽上皇は激怒し、法然上人を讃岐へ、弟子の親鸞聖人は越後国へ流刑。住蓮・安楽は死罪となった。それを知った松虫姫・鈴虫姫は自害したという。
安楽寺は春と秋のみ一般に公開される。公開日は安楽寺HPで確認を。
詩仙堂

元徳川幕府旗本の石川丈山が1641(寛永18)年に造営した。
詩仙堂の名は、中国の漢晋唐宋の詩歌三十六人の肖像を狩野探幽に描かせ、図上にそれ等各詩人の詩を丈山自ら書いて四方の壁に掲げた「詩仙の間」を中心としているとこらから呼ばれている。山の斜面を使った庭園で、春のサツキや秋の紅葉はみごとだ。
随心院門跡

古くは牛皮山曼荼羅寺と称した。弘法大師の弟子にあたる仁海僧正が一条天皇の御代(991年)に建立した。後に後堀川天皇より「門跡」の宣旨を受け、随心院門跡と称される。
小野小町の住居跡ともいわれ、小町ゆかりの寺でもある。境内には小町宛の恋文を埋めた文塚や化粧井戸(写真右)などがある。
梅園が有名で観梅期には茶席が設けられる。また、小野小町と深草少将に扮した少女たちが童歌に合わせて踊る「はねず踊り」が催される。
勧修寺(かじゅうじ)

真言宗の寺院で、900年に醍醐天皇が生母の御願により創建したと伝えられる。氷室池を中心に、まわりの山々の景色も取り入れた池泉庭園がとくに有名。
書院の前庭にある灯籠(写真右)は、水戸光圀公の寄進で、勧修寺型灯籠と呼ばれ、ユーモラスなスタイルとして有名だ。また、この灯籠を覆うように生えている「ハイビャクシン」の樹齢は750年と言われる名木。
池の大半を埋め尽くす睡蓮 早生の花菖蒲が咲いていた 鷺の親子(高い木の上に巣がある)
アクセス

安楽寺 市バス「真如堂前」下車、東へ10分。哲学の道の1本東側の道路沿い。
詩仙堂 市バス「一乗寺下リ松町」下車、東へ5分。東隣に宮本武蔵決闘の「一乗寺下り松」の古木がある八大神社がある。
随心院 地下鉄東西線「小野」下車、10分。
勧修寺 地下鉄東西線「小野」下車、10分。(随心院とは反対方向)