陽春の洛中散歩



渉成園(しょうせいえん)

門首の隠居所として用いられた東本願寺の飛地境内地で、周囲に枳殻(からたち)が植えてあったことから枳殻邸(きこくてい)ともよばれている。平安時代初期に嵯峨天皇の皇子左大臣源融(みなもとのとおる)が、奥州塩釜の景を移して、難波から海水を運ばせた六条河原院苑池の遺蹟と伝えられている。石川丈山作庭の書院式回遊庭園は、優雅な雰囲気だ。
渉成園の梅 渉成園傍花閣
美しい梅が咲くろう風亭 独特な造りの傍花閣(ぼうかかく)
渉成園回棹廊 渉成園庭園 渉成園の桜
桧皮葺切妻造唐破風屋根の回棹廊 池の向こうに京都タワーが覗く 美しい桜が咲き出した
京都御苑

京都市街の中心部に位置し、東西約700m、南北1300mに及ぶ広大な敷地に、京都御所、仙洞御所、大宮御所などがある。江戸時代には200もの宮家や公家の邸宅が立ち並んでいたという。
今では、約5万本の樹木が植えられ、散策や休養、自然や歴史とのふれあい、スポーツなど市民の憩いの場となっている。
京都御苑の糸桜 京都御苑の糸桜
京都御苑の糸桜 京都御苑の糸桜 京都御苑
咲き始めた糸桜が美しい 澄んだ青空に桜が美しい の〜びりお昼寝
護王神社

1851(嘉永4)年、孝明天皇は和気公の歴史的功績を讃えて正一位護王大明神の神階神号を授け、1874(明治7)年に「護王神社」と改称して別格官幣社に列せられた。1886(明治19)年、明治天皇の勅命により、京都御所蛤御門前の現在地に社殿を造営、和気広虫姫を合祀した。
その後、崇敬者により境内に霊猪像(狛いのしし)が奉納され、いのしし神社とも呼ばれ親しまれている。神社につきものの狛犬が、狛いのししとはなんともユニークだ!
護王神社の狛猪 護王神社
狛犬ならぬ「狛いのしし」 ここにも猪が!
護王神社 ランチ ランチ
京町家を改装したカフェ「九里九馬」で日替わりランチ
六角堂

正式名を「紫雲山頂法寺」といい、本堂が六角宝形造であることから、一般に「六角堂」の名で人々に親しまれている。587年、聖徳太子が開いたとされる。平安遷都の折、天皇が六角堂に御動座頂くよう祈願すると、礎石(へそ石)を1つ残して御堂がにわかに5丈ばかり北へ退いたという。その「へそ石」が本堂前の柳の根元にあり、京都のへそと言って、古くから京都の中心とされてきた。隣接して華道家元の池坊会館があるが、ここで花を供えたことが華道の始まりとされ、華道の上達を願う参拝客が多く訪れる。
六角堂 六角堂
六角堂 六角堂へそ石 六角堂
六角堂本堂 六角形の「へそ石」 池坊会館から見ると六角形だ
錦市場

四条通の1筋北が「錦小路通」。寺町通から高倉通までの東西約400mの区間が錦市場だ。細長い通りに、130軒あまりもの店が軒を連ねている。京野菜、生麩、鮮魚、総菜などあらゆる食材を扱う「京の台所」だ。品揃えの豊富さもさることながら、市場ならではの活気も魅力。みやげ探しに訪れる観光客も多い。
錦市場 錦市場
錦天満宮

錦市場の東の終点で、新京極通との交差点にあたる。1587(天正15)年、豊臣秀吉により現在地に移された後、錦天満宮と呼ばれるようになったという。祭神は菅原道真公で、学問と商売繁盛に御利益がある。境内には、京の名水「錦の水」が地中より湧出している。観光客は素通り、地元の人で賑わっていた。
錦天満宮 錦天満宮
錦天満宮 錦天満宮 錦天満宮
地元の人の参詣が多い 天満宮から見た錦市場 近づくと獅子舞が踊る「からくりおみくじ」
本能寺

1415(応永22)年、日隆上人によって創建された本門法華宗の大本山で、はじめ五条坊門にあって、本応寺と号したが、1545(天文14)年に、油小路蛸薬師の地に移った。さらに現在地へは、秀吉の区画整理によって、1587(天正15)年に移転した。本能寺といえば、1582(天正10)年、織田信長が家臣明智光秀に襲撃され自刃した。いわゆる本能寺の変で有名だ。広い境内は自由に拝観でき、織田信長の供養塔や宝物館などもある。
本能寺 本能寺 本能寺
堂々とした建築の本堂 境内にずらっと並ぶ塔頭 中央奥が信長廟
アクセス
 渉成園 JR、近鉄「京都」駅下車、徒歩10分  拝観無料(志納)  9:00〜16:00
 京都御苑 地下鉄「今出川」駅または「丸太町」駅下車すぐ  苑内自由
 護王神社 地下鉄「丸太町」駅下車、徒歩7分  境内自由
 六角堂 地下鉄「烏丸御池」駅下車、徒歩3分  境内自由  6:00〜17:00
 錦市場 地下鉄「四条」駅下車、徒歩3分
 錦天満宮 阪急電鉄「河原町」駅下車、徒歩5分  境内自由
 本能寺 地下鉄「京都市役所前」駅下車、すぐ  境内自由(宝物館は 500円)  7:00〜17:00


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